欲しかったものを手に入れたのに、うれしかったのは最初の数日だけ。気がつくと、もう次のものを探している。そんな経験はありませんか。
これさえ手に入れば楽になれるはずだ、と思って走ってきたのに、着いてみたら景色が変わっていなかった。よく聞く話です。これは、その人の欲が人より強いからではありません。欲というものが、もともとそういう形をしているからです。
今日は仏教の「少欲知足(しょうよくちそく)」についてお伝えしますぞ。我慢をすすめる話ではありません。満たされる順番を入れ替える話です。
少欲知足とは、二つの教えが並んだ言葉
少欲知足は、「少欲」と「知足」という別々の教えが並んだ言葉です。読み下せば、欲を少なくして、足ることを知る、となります。
出典は『仏遺教経(ぶつゆいきょうぎょう)』。お釈迦様が亡くなる前の最後の夜に説いたと伝えられるお経です。その中で、修行する者が心得ておくべきこととして八つが挙げられています。八大人覚(はちだいにんがく)と呼ばれるもので、少欲がその一つ目、知足が二つ目です。
八大人覚の八つは、少欲・知足・楽寂静(静けさを楽しむ)・勤精進(努め励む)・不忘念(教えを心にとどめる)・修禅定(心を落ち着ける)・修智慧(智慧をみがく)・不戯論(無駄な議論をしない)。この順番の先頭に少欲と知足が置かれています。
数ある教えの中から最後に八つを選び、その先頭と二番目に置かれた。少欲知足は、お釈迦様が最後まで手元に残した教えということになります。
少欲と知足は、似ているようで別のこと
どちらも欲を抑える話に見えますが、向いている先が違います。道元禅師は『正法眼蔵』の最後の巻「八大人覚」で、この二つをはっきり分けています。
彼の未得の五欲の法の中に於て、広く追求せざるを、名づけて少欲と為す
道元『正法眼蔵』八大人覚
まだ手にしていないものを、あれもこれもと追いかけない。これが少欲です。
已得の法の中に、受取するに限りを以てするを、称して知足と曰ふ
道元『正法眼蔵』八大人覚
すでに手にしているものを、受け取るところで止めておける。これが知足です。
- 少欲 まだ持っていないものへの向き合い方。追いかける手を減らします
- 知足 すでに持っているものへの向き合い方。受け取る量に、自分で限りを置きます
- 少欲だけだと 欲しがらないだけで終わり、ただ諦めた状態に近くなります
- 知足だけだと 今あるものは数えられても、持ち物のほうは増え続けます
- 二つで一組 追いかけずに、いま在るもので満ちる。だから並べて説かれます
ここで気をつけたいのが、少欲知足は我慢とは違うということです。我慢は、欲しい気持ちを抱えたまま、手だけを止めている状態。これは長く続きませんし、どこかで反動が来ます。少欲知足のほうは、欲しい気持ちそのものが小さくなっていく話です。
足りないと思っている人は、天国にいても満たされない
『仏遺教経』の知足の段には、よく知られた一節があります。
知足の法は即ちこれ、富楽安隠の処なり。知足の人は地上に臥すと雖も、猶ほ安楽と為す。不知足の者は天堂に処すと雖も、亦た意に称わず
『仏遺教経』知足の段
足ることを知っている人は、地面に寝ていても安らかでいられる。足りないと思っている人は、天上の御殿にいても満足できない。ずいぶん思い切った言い方ですが、思い当たるところがあるのではないでしょうか。
同じ部屋に同じだけの物を置いても、満ちている人と足りない人に分かれます。分けているのは持ち物の量ではなく、どこに線を引いているかです。そして線のほうは、自分で動かせるところにあります。
欲が多いと、苦しみも多くなる
少欲の段のほうには、こう説かれています。
多欲の人は、利を求むること多きが故に、苦悩も亦多し。少欲の人は、求め無く、欲無ければ、すなわちこの患い無し
『仏遺教経』少欲の段
欲しいものが多いほど、手に入れるための苦労が増えます。それだけではなく、手に入れたあとに失う心配も増えていきます。持ち物が増えると、守るものが増えるからですね。
同じ段には、少欲の人は人にへつらって気に入られようとしなくなる、という一節も続きます。欲しいものを相手が持っていると、こちらは頭を下げる側に回ることになる。少欲は、その立場から自由になる話でもあるわけです。
いちばんの財産は、満足である
『法句経』にも、同じ考えが短い形で残っています。漢訳ではこうです。
無病最利 知足最富 厚為最友 泥洹最快
『法句経』(漢訳)
病がないことが最上の利益、足るを知ることが最上の財産、厚い信頼が最上の友、安らぎが最上の楽しみ。財産という言葉の中身を、持っている額から満足のほうへ置き換えてしまっています。
京都の龍安寺には「吾唯足知(われ ただ 足るを 知る)」と刻まれたつくばいがあります。四つの字が真ん中の口という形を分け合っている作りで、水を汲むたびにこの言葉と向き合うことになります。石庭のほうが有名ですが、こちらもぜひ見ていただきたいところです。
なぜ満足は、すぐに消えてしまうのか
足るを知りましょうと言われても、それができれば苦労はない。そう思われるかもしれません。実際、満足はあまり長持ちしないものです。これには理由があります。
仏教では、苦しみのもとを渇愛(かつあい)と呼びます。渇いた人が水を求めるような、渇きそのもののことです。ここで見逃せないのは、渇愛が「満たされないこと」ではなく、「満たしてもまた渇くこと」を指している点です。
水を飲めば、その場の渇きは消えます。でも、しばらくすればまた渇きます。欲も同じで、手に入れた瞬間に満足は完了し、その満足はすぐに当たり前へ変わってしまう。当たり前になったものは、もう満足を生みません。だから次を探すことになります。
次々に欲しくなるのは、意志が弱いからではないわけです。そういう仕組みで動いているところに、気合いで立ち向かっているから続かない。少欲知足は、仕組みのほうに手を入れます。追いかける数を減らして、すでにあるものを数え直す。がんばりの量ではなく、置き場所を変える教えです。
今日からできる三つ
1. 買う前に、同じ用途のものをいくつ持っているか数える
欲しくなった瞬間、人はいま持っているもののことを忘れています。数えるだけで、半分くらいは熱が下がります。減らす必要はありません。数えるだけで十分です。
2. 一日の終わりに、足りたことを三つ挙げる
足りなかったことは、放っておいても頭に残ります。足りたことのほうは、意識して拾わないと消えていきます。ご飯が食べられた、眠れる場所がある、その程度で構いません。知足は、この作業の積み重ねでできています。
3. 人の暮らしを見る時間を、少し減らす
欲は、比べたときに生まれます。人の暮らしが流れてくる画面を見ている時間が長いほど、比べる回数も増えていきます。やめる必要はありませんが、寝る前の三十分だけでも離してみてください。欲しいものの数が変わってきます。
やらないほうがいいこと
少欲知足は、受け取り方を間違えると窮屈な教えになります。気をつけたいのは次の三つです。
一つ目は、欲そのものを悪者にすることです。仏教は欲を敵にしていません。三毒でいう貪も、欲しがること自体ではなく、際限なくむさぼる状態を指しています。生きていく力としての欲は、あっていいものです。
二つ目は、少欲知足を人に向けることです。「あの人は欲が深い」と言いはじめた時点で、こちらの心のほうが濁っています。この教えは、自分の線を引き直すためのものでした。
三つ目は、必要なものまで削ってしまうことです。生活に要るものを我慢するのは知足ではありません。切り詰めすぎるのは、欲を追いかけるのと同じくらいの行き過ぎです。どちらにも寄りすぎないのが中道でしたね。
まとめ
少欲知足について、大事なところをまとめます。
- 少欲知足は『仏遺教経』の八大人覚の一つ目と二つ目。お釈迦様が最後に残した八つの筆頭です
- 少欲は、まだ持っていないものを追いかけないこと
- 知足は、すでに持っているものを、受け取るところで止めておくこと
- 満足は量では決まりません。足るを知る人は地に臥しても安らかで、知らない人は天上でも満たされません
- 我慢とは違います。手だけを止めるのではなく、欲しい気持ちのほうを小さくしていきます
足るを知るというのは、諦めることではありません。いま手の中にあるものに、ちゃんと気づけるようになるということです。気づけた分だけ、その人は豊かになっていきますぞ。
一緒に開運をめざしていきましょう!
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