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    三毒とは?貪・瞋・癡の意味|いちばん厄介なのは三つめです

    三毒とは?貪・瞋・癡の意味

    ついカッとなってしまった日。もっと欲しいという気持ちが止まらなくて、そわそわしたまま終わった日。あとから振り返ると「なんであんなに」と思うのに、そのときは止められないんですよね。

    仏教では、そういう心の動きのもとになるものを三毒(さんどく)と呼びます。貪(とん)・瞋(じん)・癡(ち)の三つ。人の悩みは、だいたいこのどれかから始まっているという考え方です。

    今日は三毒の話をしていきます。むずかしい漢字が並びますが、中身はとても身近な話ですぞ。

    目次

    三毒とは?苦しみのもとになる三つの心

    三毒は、仏教で「これがあるから苦しみが生まれる」とされている三つの心の働きです。

    • 貪(とん)… むさぼる心。足りない、もっと欲しいという渇き
    • 瞋(じん)… 怒る心。思いどおりにならないことへの反発
    • 癡(ち)… おろかさ。ものごとの本当のすがたが見えていない状態

    毒という強い言葉が使われているのは、一度に倒れるものではなく、じわじわ全身にまわっていくからですね。気づいたときには、ずいぶん深いところまで来ている。

    ひとつずつ見ていきましょう。

    貪(とん)|「足りない」が止まらなくなる心

    貪は、欲しいという気持ちそのもののことではありません。何かを欲しいと思うのは自然なことですし、それがあるから人は動けます。

    問題になるのは手に入れても、すぐ次が欲しくなって落ち着かない状態のほうです。ゴールが動き続けるので、いつまでたっても満たされない。

    鑑定でも「これさえ手に入れば安心できます」とおっしゃる方は多いです。でも実際にそれが手に入ったころには、たいてい別のものが気になっている。

    お金でも、人からの評価でも、恋愛でも同じです。追いかけている対象が違うだけで、心の動き方はまったく変わりません。

    欲を消す必要はありません。追いかけているものが、いつのまにか入れ替わっていないか。そこを見るだけで十分です。

    瞋(じん)|思いどおりにならないときに出てくる怒り

    瞋は怒りのことです。ただ、怒りが出てくるときは、その手前に必ず「こうあってほしかった」という期待があります。

    期待どおりにならなかった。だから腹が立つ。つまり怒りは、自分が何を望んでいたのかを教えてくれる合図でもあるんですね。

    ここで気をつけたいのが、怒りを悪者にして飲み込んでしまうことです。

    飲み込んでも毒は消えていません。ただ内側にたまるだけで、別のところで出てきます。怒りとのつきあい方については怒りをコントロールするためのコツ|自分の中に敵がいた!? に詳しく書きました。

    癡(ち)|いちばん気づきにくい、三つめの毒

    癡は、おろかさ、無知と訳されます。ただ、知識が足りないという意味ではありません。

    自分が何を見落としているか、それに気づいていない状態のことです。

    貪と瞋は、あとから自分で気づけます。「あのとき欲が出てたな」「あれは怒ってたな」と振り返ることができる。

    でも癡は、気づけないということ自体が中身なので、自分では見つけられません。だから三毒のなかでいちばん厄介なのは、この癡だと言われます。

    そしてこの癡があるせいで、貪も瞋も止まらなくなります。

    三毒は、三つセットで動いている

    順番にならべてみると分かりやすいです。

    • ものごとが移り変わっていくことが見えていない(癡)
    • だから手に入れたものが続くと思って、握りしめる(貪)
    • 握っていたものが崩れたときに、腹が立つ(瞋)

    思い当たる場面、ありませんか。

    すべては移り変わるという話は諸行無常とは?意味と使い方|つらい今も、良い今も、ずっとは続かない に書いています。癡の話とセットで読むと、ずいぶん腑に落ちるはずです。

    自分がどの毒に寄りやすいか、確かめてみる

    三つとも誰にでもあります。ただ、出やすい順番は人によってちがいます。

    1. 手に入れた直後に、もう次のことを考えているなら貪の側

    うれしかったはずの時間が、やたら短くありませんか。喜びよりも先に「次は」が来る方は、貪が強めに出ています。

    2. 相手の言い方が、何日も頭から離れないなら瞋の側

    内容ではなく言い方のほうが引っかかる。何度も思い返して、そのたびに腹が立つ。これは瞋が出やすいタイプです。

    3. 「自分は分かっている」と感じる場面が多いなら癡の側

    これはいちばん判定がむずかしいところです。人の話を聞きながら、もう結論が出ている感覚があるなら、癡が働いていると考えていいと思います。

    三毒を薄めていく3つの方法

    消そうとしなくて大丈夫です。薄めていく、くらいがちょうどいい。

    1. 名前をつけて呼んでみる

    イライラしてきたら、心のなかで「これは瞋だな」と言ってみる。それだけで、飲み込まれている状態から半歩だけ離れられます。

    自分の状態に名前をつけると、感情と自分のあいだにすきまができるんですね。

    2. 手放す練習を、小さいところで始める

    いきなり大事なものを手放す必要はありません。使っていない物をひとつ処分する、返信をひとつ諦める。そのくらいで十分です。

    握る力をゆるめる感覚を、体で覚えていくのが目的ですね。片付けをマスターして開運を狙っていく もあわせてどうぞ。

    3. 「分からない」と口に出してみる

    癡にきくのは、これだけです。分からないと認めた瞬間だけ、見えていなかったものが入ってくる余地ができます。

    知ったかぶりをやめる、という話ではありません。分からないことがある前提で人の話を聞く、という姿勢のことです。

    やらないほうがいいこと

    三毒を知ったあとに、多くの方がやってしまうことが二つあります。

    ひとつは、三毒を完全になくそうとすること。なくそうとすること自体が、また新しい欲になります。

    もうひとつは、自分を責める材料にしてしまうことです。「また貪が出た、自分はダメだ」となると、ただしんどいだけで何も変わりません。

    三毒は、自分を採点するための物差しではなくて、今どちらに傾いているかを見るための目印です。どちらかに寄りすぎない考え方については中道とは?頑張りすぎず、我慢しすぎない生き方|琴の弦のたとえに学ぶ に書きました。

    チクさんの実体験

    これは僕自身の話ではなくて、鑑定にいらしたお客様から聞いた話です。

    その方は以前、別の占い師さんのところに通っていたそうです。そこで言われたのが「こういうときはこうして。こうじゃないとだめだから」という言葉でした。

    その方は一生懸命にアドバイスを聞いていました。でも、そのとおりには動けなかった。そうしたら、その占い師さんが怒ってしまったのだそうです。

    気持ちが分からなくはありません。相手のためを思って伝えたことが、そのとおりにならなかった。「こうしてほしかった」という期待があったところに、ちがう結果が来た。まさに瞋の入口ですよね。

    ただ、僕はそうは思わないんです。「こうじゃないとだめ」と言ってしまった時点で、その方の選択肢が一つに減ってしまうからです。

    占いは、道を狭くするためのものではないと思っています。今どのあたりにいて、どんな道がありそうか。それを一緒に眺めるのが鑑定で、どれを選ぶかはご本人のものですよね。

    この話を思い返すたびに、前回書いた中道が大事だなと感じます。伝える側も、こうでなければと握りしめた時点で、もう片側に寄っている。

    アドバイスはお渡しするけれど、握らせない。そのくらいがちょうどいいのだと思います。

    まとめ

    三毒は、貪・瞋・癡の三つ。むさぼる心、怒る心、そして見えていないことに気づいていない心です。

    厄介なのは三つめの癡で、これがあるせいで前の二つが止まらなくなります。逆に言えば、自分が何かを見落としているかもしれない、と思っておくだけで、三毒はずいぶん薄まるということですね。

    完全に消す必要はありません。今どちらに傾いているか、それが分かるだけで十分ですぞ。

    一緒に開運をめざしていきましょう!

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