こんにちは!チクさんです。
「良いことをすると、運が良くなる」
これは占いでもよく言われる話ですが、正直、根拠が曖昧に聞こえることもあると思います。
仏教には「因果応報(いんがおうほう)」という考え方があります。
自分がした行い(因)は、必ず何らかの結果(果)となって、自分に返ってくる。
これは、占いで扱う「運」の考え方と、かなり近いところにあるんですぞ。
今日はこの話をしていきます。
因果応報は「バチが当たる」話じゃない
因果応報というと、「悪いことをするとバチが当たる」という怖い話に聞こえがちです。
でも本来の意味は、もっと自然な流れの話です。
種をまけば、芽が出る。まかなければ、何も出ない。
これだけのことなんです。
悪い種をまけば悪い結果が、良い種をまけば良い結果が育つ。ただそれだけです。
占いで見る「運」との共通点
占いで運気の良い日、悪い日を見るとき、実は「今日どう行動するか」が一番大事になります。
開運日にお参りをしても、その日に誰かを傷つける言動をしていたら、種としては相殺されてしまいます。
逆に、特別な日でなくても、日々良い種をまき続けている人は、着実に運気が育っていきます。
つまり、占いで見る「運気の波」は、その人がまいてきた種が芽を出すタイミングとも言えるわけです。
因果には「時差」がある
因果応報でよく誤解されるのが、「すぐに結果が出るはず」という思い込みです。
まいた種が、すぐに芽を出すとは限りません。
数か月後、数年後に、思いがけない形で返ってくることもあります。
占いでも、今の行いが今すぐ運気に反映されるわけではありません。
「今日の行動が、いつか巡り巡って自分に返ってくる」という長い目で見る姿勢が大切なんです。
悪い結果が出たときの考え方
「因果応報」を意識しすぎると、うまくいかないことがあったときに「自分の過去の行いが悪かったからだ」と自分を責めてしまう方がいます。
これは、少し違う受け止め方だと僕は思っています。
過去の種は、もう変えられません。
でも、今からまく種は選べます。
うまくいかないことがあったときこそ、これから先の種選びに意識を向けてみてください。
「悪い人が得をしている」ように見えるのは、なぜ?
因果応報の話をすると、必ずと言っていいほど聞かれることがあります。
「じゃあ、あんなにひどいことをしている人が、なんで平気で幸せそうなんですか」
これはもっともな疑問です。僕も鑑定の場でよく聞かれます。
いくつか、思っていることをお伝えしますね。
理由1 時差がある
さっき書いたとおり、種はすぐには芽を出しません。
数年かかることもあるので、「まだ芽が出ていないだけ」という時期があるということです。
逆にいえば、あなたが今まいている良い種も、まだ地面の下にあるのかもしれません。
理由2 外から見えているものが、その人の全部ではない
人の幸せそうな部分は、外からよく見えます。
でも、その人が夜中に何を抱えているかまでは見えません。
鑑定をしていると、「あの人がうらやましい」と言われている当のご本人が、まったく別の重さを抱えていた、ということがよくあります。
見えている部分だけで判断するのは、案外あてになりません。
理由3 そもそも、他人の収支を数える必要がない
これがいちばん大事だと思っています。
他人の因果を計算し始めると、そこに自分の時間とエネルギーが吸い取られていきます。
その時間は、自分の種をまく時間だったはずです。
他人の畑の心配より、自分の畑に何をまくか。
そこに戻ってこられた人ほど、結果的に運が動いていくように感じます。
今日からまける、良い種の例
「良い種をまきましょう」と言われても、何をすればいいのか分かりにくいですよね。
大げさなことはいりません。こういうもので十分です。
- お礼を、その日のうちに言う … あとで、はだいたい流れます
- 受け取ったら、受け取ったと伝える … 黙って受け取らない
- 陰で人のことを悪く言わない … 言葉も種になります
- 見返りを決めずに、ひとつだけ人のためにやる … 小さいことでいい
- 約束を守る … 特に、自分自身との約束を
派手な開運行動より、こういう地味なもののほうが確実に芽が出ます。
そして何より、今日からできることばかりです。
チクさんの実体験
「良い行い」とは少し違う話になるかもしれませんが、ひとつ思い出したことがあります。
僕のところに来られる前は、仏様に手を合わせる習慣がまったくなかったという方がいました。
信心ごとには縁がない、という感じの方だったと思います。
その方が、鑑定を受けたあとから、手を合わせることを始められたんです。
しかも、かなり熱心に。
そこから、少しずつ変わっていかれました。
自分のなりたい未来。なりたい自分。
そこへ向かって、どんどん近づいていかれたんです。
ただ、はっきり言っておきたいことがあります。
すぐではありませんでした。年月はかかりました。
でも、ここがまさに時差の話だなと、僕は思っています。
そして今、その方はこんなふうに言われます。
あのとき始めていなかったら、自分はどうなっていたんでしょうね
手を合わせるという行為そのものに、魔法のような力があるわけではないと思います。
でも、毎日手を合わせる人は、その一瞬だけ自分の内側に戻ってきます。
今日はどうありたいのか。それを静かに確認する時間を、毎日持つことになる。
それを何年も積み重ねたら、変わらないほうが難しい。
僕はそう感じています。
これもきっと、まいた種のひとつだったんだと思います。
まとめ
今日は「因果応報」という考え方について書きました。
- 因果応報は「バチが当たる」話ではなく、種と芽の自然な関係
- 占いで見る「運」も、まいた種が芽を出すタイミングと考えられる
- 結果が出るまでには時差がある。焦らず長い目で
- 過去の種は変えられないが、これからまく種は選べる
今日どんな種をまくかは、いつでも自分で選べます。
良い種を、今日もひとつまいてみてください。
一緒に、良い巡りを育てていきましょう!

次回は「少欲知足」、欲との付き合い方の話を書いていきますぞ。
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